こんにちはー!!くまでーす!!
さて、今回はダークなお話として「ハマノパレード」について語っていきます。
この記事を読むことによってわかることは
- ハマノパレードってどんな馬?
- 食べられたってどういう事?
このことを触れることによって過去に起きた事件を理解できます。
それでは早速行ってみましょう。
なお、今回は結構ショッキングな内容に加え、画像資料がないので文章のみになります。
ハマノパレードとは
まず、ハマノパレードはどんな馬だったかといいますと、今から約50年前に誕生し、活躍した競走馬です。
父はデューダーペリオッド、母はオイカゼで、北海道のへいはた牧場にて3月18日に誕生しました。
戦績
生涯戦績としては20戦8勝、主な勝鞍が
- 春蘭賞
- 阪神大賞典(G2)
- 京都記念(G2)
- 宝塚記念(G1)
となっております。
特に目立った戦績としてG1レースの「宝塚記念」を制覇しているのが目立ちます。
末路
そして、1973年の6月24日に開催された当時はG2であった「高松宮杯(現G1の高松宮記念)」に出走をします、しかし、レース途中に足がもつれ、前のめりに転倒し、そのまま競争を中止しました。
当時の騎手であった田島騎手は肩甲骨を骨折、ハマノパレードは左第一関節脱臼および左第一指節種子骨粉砕骨折を発症しており、競走後に予後不良の診断が下されました。
ここで予後不良という言葉が出てきまして、「安楽死」されたのかと思いきや、なんと、暫くは生かされ、翌朝には屠殺場に送られてしまい、さくら肉『本日絞め』400キログラム」という品目で市場へ売りに出されてしまいました。
当時は「別の馬」だったのだろうと思われていたのですが、スポーツニッポンが「実はこの馬肉はハマノパレードのものではないのか!?」と言う内容で記事として取り上げられ、大きな反響を呼び、世間から避難を浴びました。
そのこともあり、現在では予後不良診断された競走馬に対する扱いとしては、屠殺は行われなくなり、原則、必要な手続きを行った後「安楽死」點せられるシステムとなりました。
もし、このことがなかったら「ライスシャワー」や「サイレンススズカ」、「ウオッカ」等予後不良診断された競走馬は最悪屠殺され、食べられていた可能性があります。

そもそも馬が家畜化されたわけ
さて、ここまで「ハマノパレード事件」について取り上げてきましたが、そもそも馬が何故「家畜化」されたのかといいますと、答えは簡単で、「元々は食用にする為」です。
これは人類史を鑑みると分かることで、そもそも人間が動物を家畜化するのは様々な目的があって様々な動物を家畜化していきました。
現に、牛の「ホルスタイン」や「羊」、競走馬である「サラブレッド」は自然界では「絶対」に存在しない動物でして、もし、したとしたらそれは100%人間の手から「脱走」し、「野生化」した動物と言えるでしょう。
その、家畜化された「馬」は、同じことの繰り返しですが、元々は人類が「食べるため」だけに家畜化された動物となります。
ですが、その「馬」も人類の文明が発達するとともに「実は早く走れる」ことが判明し、「食用目的」だった馬がいつの間にか「乗り物」として、戦争を始めとした人類史での様々な場面で活躍することになります。
そして、暇をもてはやした人類が「馬同士走らせてどの馬が早いか競争しようぜ!!」的なノリでできたのが「競馬」というスポーツになります。
そして、今では馬は基本的に「乗馬」用の動物として扱われております。
まとめ
まとめに入りましょう。
ハマノパレードを通じてわかったことは
- ハマノパレード事件があって今は基本安楽死を取る事があったこと
- ハマノパレード事件がなかったら予後不良診断された馬を食べていた衝撃
となります。
人類と馬の歴史は思った以上に長い歴史を歩んでおり、私自身、今の制度があるからこそ、予後不良診断された競走馬を食べずに済むことがわかって安心しております。
そして、これからも命を提供してくれた生物たちに「ありがとう」と思いつつ、「いただきます」という言葉を大事にしたいなぁ・・・と思います。
それでは、次の記事でお会いしましょう、ではまた!!