こんにちはー!!くまでーす!!
さて、今回取り上げるのは「エアグルーヴ」です。
この記事を読むことによって
- エアグルーヴってどんな競走馬だったんだろう・・・
- ウマ娘のエアグルーヴってどんな子?
この疑問について解説していきます。
それでは早速行ってみましょう。
エアグルーヴとは

まず、エアグルーヴですが、1993年4月6日に生まれ、2013年4月23日に亡くなりました。
享年は20歳で、死因は出産時に発生した内出血です。
エアグルーヴの血統
そして、エアグルーヴの血統は以下のとおりになります。

父トニービンはアイルランドで競走馬をしていて、競走馬引退後に種牡馬として日本に輸入されました。
そして、母ダイナカールはオークス優勝馬であり、先祖には「ノーザンダンサー」がおります。
エアグルーヴの戦績
そして、エアグルーヴの戦績ですが、生涯戦績19戦9勝、うち勝鞍が
- オークス(G1)
- 天皇賞秋(G1)
- 札幌記念2連覇(G2)
- 産経大阪杯(G2)
- チューリップ賞(G3)
- マーメイドステークス(G3)
となります。
エアグルーヴの伝説
そして、エアグルーヴにまつわる伝説ですが、まず第一に挙げられるのが「オークスを親子制覇」した点でしょう。
エアグルーヴの母親であるダイナカールもかつてはオークスに出場し、2着の馬をハナ差で差し切り、ダイナカールは樫の女王という称号を手に入れました。
そしてその娘であるエアグルーヴもまた、オークスに出場し、母と同様にオークスを制し、樫の女王となりました。
なお、母ダイナカールの鞍上は無敗クラシック三冠馬である「シンボリルドルフ」の主戦騎手であった岡部幸雄騎手が、その娘のエアグルーヴの鞍上が同じく無敗クラシック三冠馬である「ディープインパクト」の主戦騎手であった武豊騎手が鞍上を努めております。
また、もう一つの伝説としては、「天皇賞秋」です。
天皇賞秋では前年の覇者「バブルガムフェロー(父サンデーサイレンス)」が参加しており、オッズとしてはエアグルーヴは2番人気に押されました。
そしてレース当日の終盤、直線コースでバブルガムフェローが3番手から仕掛けたところ、外からエアグルーヴが襲来し、そのままバブルガムフェローとの一騎打ちの果てに、エアグルーヴがクビで差し切りました。
そして最後の伝説ですが、死してもなお血統を残したところです。
上記にも書いてある死因と没日ですが、その日はショパン(父キングカメハメハ)の誕生日であり、今は登録抹消されてしまったのですが、名牝の血はまだ途絶えていないということが分かります。
そして、今ではエアグルーヴのひ孫たちがターフをかけております。
ウマ娘におけるエアグルーヴ
さて、そんなエアグルーヴですが、ウマ娘化するとこうなります。

はい、こちらがウマ娘になったエアグルーヴとなります。
担当声優は青木瑠璃子さんです。
プロフィールとしては
- 身長165cm
- B90
- W57
- H86
となります。
そして、ウマ娘のエアグルーヴはトレセン学園の生徒会副会長として務めを果たしており、同じウマ娘ですとサイレンススズカと仲がいい部分もあります。
また、生徒会長であり皇帝と呼ばれるシンボリルドルフには強く尊敬の念を抱いているのですが、エアグルーヴがシンボリルドルフのダジャレの理解ができなくてしょんぼりとする部分があったりします。
まとめ
まとめに入りましょう。
エアグルーヴはオークスを制覇し、更には天皇賞秋では雄馬を抑えて1位を取っていることが分かりました。
また、牡馬が猛威を奮っていた頃に「待った」をかけた競走馬でもありました。
そして、ウマ娘では生徒会副会長を努め、シンボリルドルフの信頼も勝ち取っているウマ娘ということが分かりました。
今回の記事は以上となります。
もし、何かございましたらコメント欄にコメントを残しておいてください。
それでは、次の記事でお会いしましょう、ではまた!!