こんにちはー!!くまでーす!!
さて、今回はお兄様・お姉様にとって縁のある「ライスシャワー」について解説をしていきます。
この記事を読むことによって
- ライスシャワーはどんな馬だったのか
- ライス最後どうなっちゃうの!?
- ウマ娘のライスってどんな子?
この3つの疑問についてこの記事で解説をします。
それでは早速行ってみましょう。
ライスシャワーとは

まず、ライスシャワーですが、1989年3月5日に誕生し、1995年6月4日に死亡しました。
死因は骨折による安楽死ですが、そちらについては別の項目で詳しく記述します。
そして、ライスシャワーの名前の由来ですが、こちらは結婚式に行われる子宝、資産に恵まれるように参加者が新郎・新婦に向けてお米を降り注ぐ行為から取られております。
ライスシャワーの血統
そして、そんなライスシャワーの血統としては以下のとおりになります。

父リアルシャダイ、母ライラックポイントの間から生まれ、母父にマルゼンスキーがおります。
マルゼンスキーの紹介についてはこちら。

ライスシャワーの戦績
そして、ライスシャワーの戦績は25戦6勝であり、主な勝鞍が
- 菊花賞(G1)
- 天皇賞春2回(G1)
- 日経賞(G2)
となります。
注目する場所はやはり「菊花賞」と「天皇賞春」でしょう。
ライスシャワーの最後
そして、ライスシャワーの最後なのですが、1995年当時、ライスシャワーはそろそろ引退させたいという運営の以降もありまして、一旦引退を考えました。
しかし、現実とは非常なもので、ライスシャワーは牡馬にしてはかなり小柄な馬であり、種牡馬として買い取ってくれる牧場がなかなか見当たりませんでした。
そして、運営は苦肉の策として、「宝塚記念」をラストランとして見据えて出走を決断しました。
そして、その背景には
種牡馬入りが再度検討された際、やはり中距離競走での実績が必須であると結論付けられた事情もあった。宝塚記念2日後の6月6日には、種牡馬入りへの支援を申し出たJRAの担当者がライスシャワーを見に来る予定となっていた。(引用元:Wikipedia)
とあり、1995年6月4日にライスシャワーは宝塚記念へ出走しました。(宝塚記念は歴史あるレースであり、開催した年度によっては6月上旬または下旬、挙げ句には7月頭に開催されるレースです。今では6月下旬と固定されております。)
そして迎えたレース当日、ライスシャワーの主戦騎手だった的場騎手は、最初のコーナーを回った時点で、ライスシャワーの様子がおかしいと感じ取り「今日は勝つより、身長に回って無事レースを終えるようにしよう。」と考えておりました。
しかし、第3コーナーにてライスシャワーは、なんと、自分からスピードを上げていき、その結果、転倒をし、左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症し、ターフの上で異例の安楽死処置が行われました。(開放脱臼とは、文字通り開放脱臼と呼び、人間で例えると事故により内蔵、または骨が飛び出てしまう症状を指します。)
この事は競馬ファンにとってはかなりショッキングな事件となり、この事をきっかけに競馬をやめる競馬ファンが後を絶ちませんでした。
そして、時は流れ20年後の宝塚記念ですが、ライスシャワーとは別の意味で悲劇が起きました。
それは・・・ゴールドシップの史上最大のやらかしである「120億縁事件」です。

ライスシャワーの伝説
さて、そんなライスシャワーですが、伝説が4つあります。
その伝説とは
- ミホノブルボン3冠阻止
- メジロマックイーン天皇賞春3連覇阻止
- 天皇賞春での復活のV
- アプリ「ウマ娘」の売上に他多大な貢献
となります。
ミホノブルボン3冠阻止
まず、ミホノブルボンの3冠阻止ですが、こちらは当時、シンボリルドルフ以来の「無敗の三冠」が登場するとなり、1992年に開催された「菊花賞」にて、ミホノブルボンは1番人気に推されました。
そして始まった菊花賞ですが、ラスト100mにおいてライスシャワーがミホノブルボンを追い越し、そのまま勝利を収めました。
その時のレコードタイムは「3分5秒1」という速さでした。
メジロマックイーン天皇賞春3連覇阻止
続く「メジロマックイーンとの対決となった天皇賞春」ですが、当時、メジロマックイーンは「最強のステイヤー」とも言われており、同じステイヤーであるライスシャワーにとっては分の悪い相手でした。
そのため、当時の調教ではメジロマックイーンを意識した調教が行われていたのですが、あまりの厳しさにより「馬をいじめ過ぎではないか」や「マックイーンに勝つ前に馬が潰れる」等と言った声が上がりました。
ですが、最終的にその調教が結果的に実り、極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿り、ライスシャワーはメジロマックイーンを追い越し、見事天皇賞春の3連覇を阻止しました。
なお、ミホノブルボンの件といい、メジロマックイーンの件で、ライスシャワーはマスコミから勝手に「ヒール」という汚名を着せられてしまいました。

天皇賞春での復活のV
そして、93年の春天以降スランプが続いていたライスシャワーですが、2年ぶりの出走にて再び天皇賞春に出場します。
こちらの天皇賞春は、93年と比較すると年齢のこともあり、体力面があまりよろしくない状況でした。
それに加え、この時になるとライスシャワーより若い馬がたくさんおり、レース結果としては、ステージチャンプとのハナ差により勝利をしました。
そして、ライスシャワーは見事に復活の勝利を取りました。
アプリ「ウマ娘」の売上に多大な貢献
そして、最後の伝説としてはアプリ「ウマ娘プリティーダービー」の売上に多大な貢献をしたということでしょう。
こちらに関してですが、アプリのウマ娘がリリースされたのは2021年2月24日でして、ちょうどアプリリリースされた週の月曜日に93年春天が再現されたストーリーが展開されました。
https://infodirebear.com/umamusume/
93年春天が再現された第8話と前週に公開された第7話はライスシャワーが主役となるストーリーでして、第7話ではミホノブルボンの3冠阻止、続く第8話はメジロマックイーンの春天3連覇阻止がしっかり再現されておりました。
なお、第8話はウマ娘ファンでも「神回」と称されるほどのシナリオでした。
ウマ娘におけるライスシャワー
そして、そんなライスシャワーですが、ウマ娘ですとこうなります。

こちらがウマ娘に登場するライスシャワーで、担当声優は石見舞菜香さんです。
プロフィールとしては
- 身長145cm
- B75
- W51
- H76
となります。
ライスシャワーはアニメとして登場したのが2期7話であり、前述したミホノブルボンの無敗三冠を阻止してしまいます。
そして、ライスシャワーはそのことがトラウマとなり、天皇賞春を出ないと宣言をしてしまいました。
ただ、ライスシャワーにとってミホノブルボンは「憧れ」でもあり「ライバル」でもある存在で、やっと追いついて追い抜いたら待っていたのはライスシャワーに向けての「罵声」や「怒号」ばかりでした。
その事も手伝い、普段は不幸にしてしまうと思い込んでしまっているウマ娘です。
その第7話では、ライスシャワーを天皇賞春に出てほしいと思い、チームスピカのウマ娘たちが協力しますが、それでもでないと宣言します。
しかし、そこに現れたミホノブルボンの「私にとって貴方はヒーロー」という言葉を受けて、ライスシャワーは天皇賞春に出走します。
続く天皇賞春が再現された第8話ですが、まずオープニングが特殊仕様となっており、可愛げのあるライスシャワーから一変してJRAのCMのキャッチコピーにもあった「削ぎ落とした体に鬼が宿る」状態の凄みのあるライスシャワーが登場しました。
その特殊OPはこちら。
その元ネタとなったJRAのCMはこちら。
2つの動画を比較してみるとウマ娘が以下にJRAをリスペクトしているかがわかります。
そして、結果としては史実通りの3分17秒1というタイムを叩き出しました。
しかし、そこで待っていたのは観客からのどよめきでした。
しかし、ライスシャワーは気丈に例をして立ち去ろうとした際、メジロマックイーンを始めとした出走したウマ娘やライスシャワーのファンからの拍手により、気持ちを立て直しました。
私個人としてはそのシーンよりレース途中でマックイーンコールの中、ミホノブルボンが「行け、ライス」と言ったシーンがめちゃくちゃ好きでした。
まとめ
まとめに入りましょう。
ライスシャワーは、史実ではステイヤーとして極振りをした競走馬であり、生まれた時代が違ったら種牡馬として活躍してたんだろうなぁ・・・と私は思いました。
また、ウマ娘のライスシャワーはアニメでは史実を再現した部分もありますし、何よりアプリでは唐突に来る「お兄様・お姉様」により、ライスシャワーのファンが急増していると私は感じております。
今回の記事が良かった、面白かった、こんなエピソードがあるという方はどうぞお気軽にコメントをして下さい。
コメントをしていただけるととてもありがたいです。
それでは、次の記事でお会いしましょう、ではまた!!